「裁判中、東條英機が背後の男から坊主頭を叩かれたの知ってる?」【映像】

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大川周明(1886年(明治19年)12月6日 – 1957年(昭和32年)12月24日)
日本の思想家。1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。
戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された。1946年3月21日に極東軍事裁判被告人選定委員会に提出された報告書によると、訴追の理由として「扇動的な書物を出版し、講演で変革を訴え、超国家主義的右翼団体を結成」「陸軍が合法的独立国家の中国から満州を奪取できるように、満州事変の陰謀をめぐらした計画」が挙げられている。しかし梅毒による精神障害と診断され、裁かれなかった。
東京裁判には大川は水色のパジャマを着用し、素足に下駄を履いて出廷した。開廷後、パジャマを脱ぎ始めたり、休廷中に前に座っている東條英機の頭を後ろから音がするほどの力で叩いたり、または「イッツア・コメディ!(It’s a comedy!、戦勝国による裁判に対する不公正を主張した説がある)」、「アイ、アイ・シンク(I, I think)(我思うゆえに我ありで知られる、何らかの哲学的思想的主張を行おうとしたと言う説もある)」などと支離滅裂な言動を行ったため、法廷内で失笑を誘った。

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